第29回 女装 止まらないかも わがままな息子でごめんね Mother

 

あー、堕ちたいわぁ。アヘ顔ダブルピースしたいわぁ。

あぎい~違う!

落としたいわぁ。原稿、落としたい。二度あることは三度あるって、昔の人も言ったくらいだし、いいじゃないのさ。

なんて思ってたら、ホッシー先生の連載内でまで、アタシが二度も落としたことをネタにされる始末…。

ホントにね、アタシったら、ユルいオカマなんですよ。局所的な筋繊維の摩耗を言ってるんじゃないの!(そこは好みもいろいろだし)

その昔、ブログ記事を更新しなくなったのもそうだし(この人、昔話にしようとしてる!)、出会い系で知り合った殿方とのアポに直前で「ごめん、急用が入って…」と逃げちゃったこともあったし(みんなの敵ドタキャン野郎がここにいるよ!)、守れない約束をするオトコってほんと最低よね!

(三田佳子先生風に)あ~アタシもうダメだわ~。

どうしてこうなのかしら。きっとDNAが悪いのよ。そうよ、血筋よ! 7代前くらいのババアがものすごい悪い女で、被害者に末代まで祟ってやるとか言われてんじゃないかしら。

というわけで、シリーズ「LGBTのカミングアウトを考える」、ラスボスの「親編」の前振りとして、アタシのルーツ、親まわりを探ってみようと思います。呪われた女装オカマっ子を生んだ血筋を下品に暴いてやるわ! そして、来週の回で徹底的に抗議し、連載を中止に追い込み、謝罪文を掲載する予定です。(何その自作自演)

ブルボンヌ、正確には数十年後にブルボンヌと名乗り女装するゲイの男の子ヤスキくんは、41年前の11月1日に岐阜に生まれました…(そう、もうすぐ誕生日、聞いちゃったね!)。

岐阜県民の小市民と岐阜県民の小市民のハーフ、じゃなかった純血種。昨今のハーフタレントブームにはまるで食い込めない素朴な血です。でも、ニューハーフよ!(ダミ声)という古典的なオチも、ゲイ女装では付ける資格もございません。

その後のカミングアウトの対象、アタシの母ユキママについて語らせていただきますと、彼女はごく普通のお母さん、といったタイプではありませんでした。

まず、アタシが産まれる直前までしていた仕事が、伝説の深夜番組『11PM』に出演するイレブンガールズ。シャバダバ言ってるお色気売り女だったんですね。また、モデル業もされてたみたいです(パリコレとかではなくて、地元の観光パンフレットで鵜飼船に乗ってたりした)。

ちなみに母親がイレブンガールズ出身だと言うのは、オカマ感覚が成熟した後のアタシにとっては、本気で自慢のネタでもあったのですが、彼女はワンギャルでいうところの釈ちゃんといったセンターポジションではなく、主に東海地区制作の放送に参加するガールズだったようです。この事実は、女装仲間のドリューバリネコさんにもさんざんディスられました。アタシ、SKEのマイナーメンバーを、AKBのメイン張ってるかのように紹介してきたんだわ…。だって、ママ自慢したかったんだもん。盛ったっていいじゃん!

そんなユキママは、アタシを産んだ後、美川憲一先生のお歌でもおなじみ、岐阜の歓楽街・柳ヶ瀬でスナックのママになりました。働かないロクデナシ父親(多分、こっちの血が締め切りを守らせない…)のかわりに、必死で岐阜のプチバブル親父たちから巻き上げて、アタシを育ててくれたんですね。

この頃の、ママのダブルミーニング、お水なユキママから、アタシはいろいろなことを教わりました。

たとえば、言い寄ってくる親父たちからのプレゼントを、ちょいちょい遠慮している姿を観た時。「どうして、くれるって言ってるのに、もらわないの?」と聞いたアタシ(割とあさましい小学生男子)に、

「もらっちゃったら、アタシがあげなくちゃいけないものもあるのよ」と。

大人になって、それは「ヤラせなきゃいけなくなるのよ」という意味だと分かったわけですが、何も失わないで金なんて錬成できない、という等価交換の法則を学んだものです。

この教えを元にアタシも、今のお仕事でお世話になった殿方などに「いつでも枕、いいのよぉ」とアピールしているのですが、最近は損をしたままで良いと思う慎ましい方が増えたようで、なかなか受け取っていただけません。嗚呼。

また、ユキママと三人で一緒に夕飯を食べるたびに、お小遣いを千円もくれる優しいおじさんと、お昼の街中で出くわした時のこと。普段と違う表情で、お仕事仲間のおじさまたちとご一緒に歩く彼に、「あ、おじちゃんだ~!(千円くれないかな)」と駆け寄ろうとしたアタシを、「今はダメっ!」と制止したのも、尊い教え。TPOに応じて、知らんぷりをする気遣いもあるということを学びました。

おかげで今では、ゲイの皆さんが集まるセクシーゾーンなどで、知った顔を見つけても、大人の完全スルーができるように。気付いてませんよー。あんたも気付いてないことにしなさいよー。

このように、世間一般のお母様像とはひと味違うユキママでしたから、授業参観などの場では、ママ友の輪にも入らず、いつも一人のようでした。子供ながらに心配したアタシが「ほかのお母さんと仲良くしなくていいの?」と聞くと、「群れるの嫌いなのよ」と単純明快な答え。

それでも、濃いめのメイクと80年代ファッション(肩パット入りスーツ)で教室後ろに立つユキママは、明らかにほかの岐阜女たちと差を付けた存在で、男性教諭からは常に「お前のママはキレイだな」と言われていたので、一人ぼっちでも堂々と輝いていたのです。

こうして今思い出すと、どこをとっても、アタシがマイノリティであることを受け入れてくれないはずがない、筋の通ったかっこいい女。それがアタシの母です。

でも、これだけの逸材ママにさえ、アタシは30数年もカミングアウトできませんでした。

親へのカミングアウトは、それくらい重いものなのかもね。

次回は、なぜ伝えられなかったかと、なぜ伝えることにしたかを書きたいと思います。

いつもこの連載を掲載日には読んでくれているユキママ。勝手にネタにして、メンゴよ!

 

Top