第59回 チンコ立てれば、メンツが立たず。さしたつもりが、さされてしまう。男の意地と、命をかけた仇討ち。あぁ、『男色武士道』ここにあり!

 

今年のゴールデンウィークは、いつになく忙しかった。連日連夜の女装仕事である。年甲斐もなく、クラブで若い子の相手をしていると、エネルギーが吸い取られる気がする。今の気分は、さながら出がらしのお茶っぱである。
土曜日の最後のイベントを片づけて、ひさしぶりに何も予定のない日曜日は、日がな布団にくるまって、“くてっ”としていた。午後遅くに目を覚まして、さて、こういう時は、古本屋めぐりをするのが、なによりの楽しみである。失われたなにかを、補給したくなるのである。
昨今の古本屋事情は、お寒い限りだ。かつては、たいがいの駅ごとに、必ずや1軒や2軒の古本屋があったものだが、どんどん潰れて無くなっているようだ。大きな理由は、インターネットの普及である。
以前の古本屋めぐりの楽しみといえば、思わぬ掘り出し物を見つけることだった。他の店ではそこそこの値が付くような古本が、安く投げ売られているのを見つけた時ほど、しあわせな瞬間はない。体中の血が逆流する気がする。
というのは、古本屋によって、専門分野というか、取り扱う本の傾向が異なるからである。外国文学の品揃えを誇る古本屋もあれば、哲学書に強い店、映画関係に特化した店もある……といった具合だ。なので、自分の店の専門外の本が入荷した場合は、安く叩き売られることがある。それが、掘り出し物になるのである。同じ本であっても、それぞれの店によって、値付けが違う。それを逆手に取るのが、猟書家の醍醐味だ。古本好きは、足を使って、欲しい本を安く手に入れる。それが古本屋めぐりの楽しみであったのだ。
ところが、インターネットが普及したことで、書名を入力しさえすれば、どこの店でいくらで売られているのかが、一目瞭然となった。店も、それを参考に値付けをするようになった。次第に、相場というか、共通価格のようなものが形成された。つまり、どこの店に行っても、同じ本が、同じような値段で売られるようになってしまったのだ。それじゃあ、掘り出し物が出てくるはずもない。そうして、古本屋めぐりという楽しみさえ失われつつあるのである。
こうした状況を、誰もが“平等”に同じ条件で古本を買うことが出来ると、喜ぶ声もある。だが、そうなると、古本屋はどこも同じような値付けとなり、規模=在庫量や立地といった条件によってのみ、古本屋としての成否が決定してしまうのである。結果、特徴のある品揃えと値付けで勝負をかけていたような小さな店には、経営が立ちゆかなくなった店も多い。結局、大手や主流の店だけが生き残るのだ。
……“平等”なんて、クソくらえである(笑)。
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閑話休題。
この日、私は、荻窪から西荻窪にかけて、古本屋を巡った。収穫は、1982年の『トップ小説』。その名の通り、小説主体のエロ雑誌である。表紙に記された『男色武士道』という文字列に心惹かれた。捕獲場所は、西荻窪「ねこの手書店」。ここは、小さいながら品揃えもバランス良く、特に雑誌類が充実しているのが嬉しい古本屋だ。何気なく入った店で、ホモ本を発見するのは、本当に嬉しい。運命の出会いかとも思ってしまう。
とはいえ、最近の古本屋は、商品にビニル袋を被せてあることが多い。立ち読みをしてから買うことが出来ない。店員に頼めば、もちろん開封してくれるだろうが、私とて、「猟色愛欲 ハードポルノ」「エロス特選」といった煽り文句が踊った表紙の本を見せてくれとは、言い出しにくい(笑)。
中を見ることなしに買って、帰りの電車の中。我慢できずに、読み始めた『男色武士道』。所詮、エロ雑誌のエロ小説とタカをくくっていた。ところが、なかなか面白い。思わず、引き込まれた。なにより、文体がしっかりとしている。これは掘り出し物だ!と叫びだしたい気分であった。
衆道好みの道場主が仇と知っていても、美少年の心はいつしかその虜にされて…
(島守俊夫『男色道場』のタイトルリード文より)
家督であった兄を殺された、姉の美保代と、弟の欣也。ようやく兄の仇を探し出した姉弟であったが、相手は剣豪、何百人もの弟子を抱える道場主の堀田伊織だった。「女とまごう容貌のままに、なにごとも引っ込み思案の15歳の欣也が太刀打ちできる相手ではなかった。姉の謀計により、身元を隠して道場に内弟子として住み込み、不意打ちの機会をうかがう欣也であった。
 今夜もまた道場主のいまわしい愛撫がはじまった。
 うつぶせの欣也は泣くに泣けない気持で、臀部のはざまを這いまわる汚辱の感触を噛みしめている。
 あぐらの膝に美少年を抱きこんだ堀田伊織は、いとしくてたまらぬといった顔つき、羞恥にわななく菊座のすぼまりをねちっこくねぶっていた。女にはいっさい関心のない“男色”ひとすじの武芸者だ。
 花のつぼみが春の温気(うんき)にほころぶように、中年男の執拗な口舌の愛撫にほだされてか、前髪立ちの若者の秘門もやわらかく脹らんできた。欣也は悲しく喘いだ。
 好き好んで身をまかせているわけではない。
(略)
だが小一時間も執拗に愛撫されると、心の拒否とはうらはらに肉体のほうは、伊織の情欲をせつなく求めだすのである。
(略)
それとみて伊織は欣也の股間のものをまさぐりながら、やわらかくとがった舌の先を脹らんだつぼみの奥へゆっくりと押しこめてくる。
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イヤよ、イヤよ、と言ってても、体は……。典型的なエロ小説のパターンである。専門のホモ雑誌が作られるようになる以前、所謂、“総合変態雑誌”の時代。SMや、女装にまじって、 数多くのホモ小説が書かれていた。ところが、ひどい作品も多かったのである。ホモのエロ小説の書き手がいなかったのであろう。普段はノンケものを書いていた作家たちが、無理して、ホモものを書いていたのだと思われる。単に、女のキャラクターを男(それも、女と見まごうばかりの美少年という設定)に、マンコをアナルに置き換えただけの安直なものがほとんどだった。濡れ場だけを読んでいると、それが男同士か、男と女なのか分からなくなる始末。喘ぎ声も、まったく女と同じ(笑)。それどころか、チンコについての描写さえおろそかなのである。ホモ小説のくせに、チンコがないがしろにされているのだ!
ところが、『男色道場』は、違う。そこが素晴らしい。チンコについての描写もちゃんとしている。まずは、伊織のチンコについては……
「欣也よ、そちはな、わしにとってなにものにも代えがたい宝だ。放しはせぬぞ。この伊織にいのちのある限り、ぜったいに……」
 くどきつつ片膝立てになって、弓反りに凛と勇みたった巨根を握りしめ、その先端で若者の後庭花をゆるゆるとなぞる。
ノンケが書くと、ウケ役は女のイメージでしかないから、ウケ役のチンコの存在は、まったく無視されてしまう。しかし、『男色武士道』では、ウケ役である欣也のチンコについてもちゃんと描かれているのだ。それでこそ、ホモ小説である。
 いいざま美少年の細腰を力強く引き寄せる。
 関門をいっきに突破した。
 そのいっしゅん、切り裂かれるような激痛が脳天に突っ走って、欣也は思わずしとねにしがみつく。
 だが、目くらむほどの激しい痛みのあとから、恍惚とした肉のよろこびが滲みひろがってくるのはどうしたことか
(略)
 うしろがかりにまなこ細めて励みながら、いのちを狙われてるとも知らず伊織は、いとしい美少年の本能をやわらかく握って揉みしごき、
「欣也よ、早まるでないぞ。はじけるときは一緒だぞ」
 と、やさしくいい聞かせている。
射精の瞬間を「はじける」とした表現が良いねぇ(笑)。この一節からも、作者が、きちんと男を描こうとしていることが分かるではないか。濡れ場ばかりではない。男同士の愛情の深さや、メンタリティの機微も、掌篇ながらきちんと書き込まれている。
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『男色武士道』の挿絵より。関根孝一郎/画。左手前より時計回りに、欣也、女将、伊織、千代。
次第に伊織を慕い始めていた欣也は、仇討ちをためらい、月日だけが過ぎていった。そんなある日、伊織は、欣也を、とある芸者置屋に連れ出した。格子戸を開けると、幼い少女が走り出してきた。伊織は少女を抱き上げると、顔馴染みの女将に酒席を用意させた。
「ただのつれではない。せがれだ。いや、いずれせがれにするつもりの若衆だよ」
男色関係の両者を“念者”と“若衆”と呼び、その固い絆を“念契”と呼ぶ。「念契に結ばれた両者の愛情は、夫婦のそれも及ばぬほどこまやか」だという。
伊織は、抱き上げた少女が養女の千代であること。行く末は、欣也を千代の婿に迎え入れたいと語り出した。本当なら、ふたりが“夫婦”として契り、千代を娘として育てていきたかったに違いない。だが、そこは、男同士である。叶わないなら、せめて、千代を介して親子の関係になろうというのである。
「わしはな、そちがいとしくてたまらない。好いたとか惚れたとか、そんななまやさしい気持ではない。言葉ではいいあらわせぬほどの執着なのだよ」
「欣也よ、そちはな、わしにとってなにものにも代えがたい宝だ。放しはせぬぞ。この伊織のいのちある限り、ぜったいに……」
そこまで思い詰めた、伊織の深い情愛を知った欣也は、はたして、兄の復讐を遂げることが出来るのであろうか? そして、何故、伊織は欣也の兄を手にかけることになったのだろうか……?
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『男色武士道』の挿絵より。関根孝一郎/画。姉から、伊織を殺すようにせまられる、欣也の当惑。
作者は、ただのエロ小説書きにあらず。時代考証もしっかりとしており、「箱回し(三味線の箱を持ったり、芸者の共をして世話を焼く男)」などという言葉が飛び出してきて、当時の風俗にも通暁しているのが見て取れる。興味が出て、作者の島守俊夫を調べてみた。やはり、時代物エロ小説を数多く著すベテラン作家であった。エロ小説にとどまらず、SF、探偵小説も書き、雑誌の文学賞候補にも選ばれたほどの筆達者であった。どうりで……と、納得をする。
この『男色武士道』は、島守にとっての自信作であったに違いない。というのも、時代物の大家、池波正太郎にも、まったく同名の『男色武士道』という短編があるからだ。これまた、仇討ちをからめて、“念契”に結ばれた男たちの愛情を描いた作品だ。池波の作品は1978年には発行されているので、当然、島守は読んでいたことだろう。それでいて、まったく同じタイトルで発表したのだ。この作品によほどの自信があったと察せられる。しかも、それだけの出来である。こんな作品が三流エロ雑誌に掲載されていたのが、まったくもって面白い。侮りがたし、エロ雑誌である。
 もっとも、男色といえど一様ではない。
 男どうしがが、たがいの裸身を抱き合い、愛撫し合って、性欲を発散させるのが、その極地だとすれば、ただ静かに手を握り合ったのみで、たがいの胸のうちを語り合い、精神的に強く愛をかたむけるかたちもある。
 どちらにせよ、この道に入ると、感情の起伏が激しい女性のめんどうな愛情よりも、男どうしの愛には男の誠意がこもってい、男は男の精神をよくわきまえているがゆえに言葉へ出さずともしっかり通じ合う醍醐味へ到達して、ぬきさしならなくなるという。
(池波正太郎『男色武士道』より)
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一方、池波の『男色武士道』は、より精神性のふかい“念契”が描かれて、胸を打つ。けれど、私としては、男同士の濡れ場もきちんと描いた、島守に軍配を上げたい。短編小説としてのクォリティも、池波のものと勝るとも劣らないと思うのである。
そして、『蜜壺のうらがわ』『獣姦ショーの女』『娘の秘所』……といった作品が居並ぶ中で、ただ一作。ホモ小説を取り上げた『トップ小説』の編集センスにも勝ち星をあげたい。『トップ小説』、やるなぁ!
この雑誌について、詳細は不明だ。奥付によれば、編集兼発行人として、石原孝也の名前がある。編集は、九十九社というところだ。これまた、不詳。発行は、日正堂である。この出版社は、よく知っている。というのも、日正堂は一時期、ゲイ雑誌『バディの版元であったからだ。ちょうど、私が働いていた頃だ。
ちなみに、日正堂は、アダルト〜成人向け図書に強い出版社で、役員に高倉一がいたことも知られている。この高倉一なる人物は、“総合変態雑誌”の代表的存在『俗奇譚』を作り、また、会員制のホモ同人誌『薔薇』を生み出した編集者である。ホモの縁(えにし)。赤い糸のごときホモ本の繋がりを実感するエピソードだ。やっぱり、エロ本は奥深い。まったく興味が尽きないジャンルだ。
古本屋の店先で掘り出し物を探し、エロ雑誌の中に隠れた名作小説を探す。それが、私の、なによりの楽しみである。
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島守俊夫『男色武士道』掲載の、『トップ小説』1982年12月号(日正堂/1982年 発行)
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池波正太郎『男色武士道』収録の、『あほうがらす』(新潮文庫/1985年 発行/ISBN 978-4-10-115625-5)

 

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