第65回 江戸時代のアナル教本と、何でもありの性愛文化。渡辺信一郎『江戸の色道 ─ 古川柳から覗く男色の世界』

10年前ほど前、ホモビデオ屋に勤めていた友人から、「最近は、ノンケがケツを掘られて感じてるビデオの方が売れるんですよ」という話を聞いて、唖然としたことがある。かつては、ホモビデオといえば、ホモが、嫌がるノンケのアナルを陵辱するというものが多かった。「やめろぉ〜、痛ぇよぉ、やめてくれぇ〜」てな感じだ。ケツは感じないノンケ VS ケツを掘りたがるホモという図式のセクシャルファンタジーが主流であったはずだ。ノンケがケツを嫌がれば嫌がるほど、それがノンケ性の証明となって、そこにホモが興奮したのである。たとえ、この“ノンケ”を演じているのが、ケツモロ感のホモであってもだ(笑)。そうした表象が喜ばれていた、ということだ。

ところが、ホモビデオの歴史といったって、ビデオが普及してからたかだか30年。それが、変われば変わるものだ。たしかに、最近は、男にケツを掘られて気持ちよがっているノンケのビデオの多いこと! 撮影後のインタビューでも、あっけらかんと「気持ちよかったッス」とか言ってのけるのである。もちろんビデオなので、それがどこまで真実かは分からない。そう言わされているだけかも知れない。それでも、こうした表象が、今のホモのセクシャルファンタジーとなっていることは確かだ。

ひるがえって、はたして、最近は、本当にケツが感じるノンケが増えているのだろうか? これは、ちゃんとした調査が行われていないため、断言は出来ない。断言は出来ないが、さまざまな現象事象から察するに、やはり、増えていると考えざるを得ない。一例を挙げれば、「M性感」風俗店が増えていたり、「エネマグラ」が大ヒットしたり、はては、こんな本まで出版されているのである。あぶひゃく著『ひとりでできるもん ─ オトコのコのためのアナニー入門』『ふたりで出来るもん ─ オトコのコのための相互アナニー講座』『ひとりでできるもん ─ オトコのコのためのアナニー講座 りべんじ編』
表紙からして、所謂、「男の娘」向けの本であるが、彼らはホモではない。むしろ、ノンケだ。そのノンケ相手にアナルの快楽を懇切丁寧に指導してくれるのである。

お尻を使って
気持ち良くなるのは
異常なことではありません
ごく当たり前のことです

(あぶひゃく著『ふたりで出来るもん ─ オトコのコのための相互アナニー講座』より)

こんな感じである。なんとも、まぁ……。ともあれ、ケツが感じるノンケが増えてくれることは、ありがたいことである。ホモ=アナルという、ある種の偏見も薄れていくだろうし。いい時代になったもんだ。
それでもなぁ、ケツが感じるノンケって、私個人としては複雑な思いである。私は、ケツが気持ち良いと素直に思えるようになるまでに、どれだけの苦労をしたことか。アナルの快楽は、ホモであることの後ろめたさとセットだったからだ。自分がホモであることを受け入れられるようになるまで、素直にアナルが気持ち良いとは思えなかった。それは、内なるホモフォビアとの闘いでもあったのだ。そういう苦労も葛藤もなしに、ケツで感じようだなんて。なんだか悔しいのである。とっても悔しいのである(笑)。

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あぶひゃく『ひとりでできるもん ─ オトコのコのためのアナニー入門』(メディアックス/2009年 発行/ISBN 978-486201620)

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あぶひゃく『ふたりで出来るもん ─ オトコのコのための相互アナニー講座』(オークス/2010年 発行/ISBN 978-4861059841)

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ひとりでできるもん ─ オトコのコのためのアナニー講座 りべんじ編』(メディアックス/2013年 発行/ISBN 978-4862016577)

日本には、古来より、アナルの指南書が存在する。『色道禁秘抄(しきどうきんぴしょう)』『艶道日夜女宝記(びどうやじよほうき)』『女大楽宝開(おんなたいらくたからがい)』などである。いずれも江戸時代の文献なので原典を当たるのは難しいが、その分野を調査研究されている先達たちの著作は、簡単に入手でき、読みやすい。そうした1冊を紹介しよう。渡辺信一郎著『江戸の色道 ─ 古川柳から覗く男色の世界』である。
渡辺氏は、江戸庶民文化研究者であり古川柳研究者。この本は、1996年に、蕣露庵主人(しゅんろあんしゅじん)名義で出版された『江戸の色道(上)男色篇』を再編して、2013年に新潮選書から出されたものだ。「蔭間(かげま)」、いまで言うウリ専に焦点を当て、蔭間の実態や風習、ひいては江戸時代の性愛文化のあり様を詳細に紹介している。図版も数多く再録されているのも嬉しい。その中から、蔭間に仕立てる方法が解説されている『艶道日夜女宝記』の一部を孫引きしよう。

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置物は、シックスナインをする町人の男たちを彫った象牙風のフィギュア。

 小児(しょうに)十二三才より仕入するには、まず右の手の爪を五本ながらよく取て、初めの夜は、小指に脂薬(あぶらぐすり)などぬりて、せせりかけ、よくはいるやうにならば、又一日二日間ィをきて、二度目はべに差し指をさしこみ、ひたもの出入りさせ、また一日もやすませて、三度目には、人差し指にてほりかけ、よくはいらば、其翌日は高指にて出入を試み……
(『艶道日夜女宝記』より)

12、3才ぐらいから、まずは小指をアナルに入れてみる。この時、爪は短く切っておく。1、2日は休ませて、次は、薬指。また、1日休ませて、人差し指。よく入るようになったら、その翌日には、親指を試してみる……と、懇切丁寧である。ホモビデオのアナルの“馴らし”は、もっと手抜きだ(笑)。もっとも、蔭間として売れるのが25才までで、それまで10年以上も稼いでもらう大切な商品である。このぐらい丁寧にしたって、バチは当たらない。

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渡辺信一郎『江戸の色道』口絵より、『艶道日夜女宝記』の「衆道仕入の図」。

それでも、連日、アナルを酷使していると、そりゃ、調子も悪くなる。この本には、『釜破損とその治療』という章があり、釜=アナルが壊れて、湯治にやって来る蔭間を詠んだ川柳が紹介されている。

芳町の釜は箱根で鋳掛けさせ
(渡辺信一郎著『江戸の色道 ─ 古川柳から覗く男色の世界』に紹介された古川柳より)

蔭間茶屋が数多くあったのが、芳町。そこで働く蔭間のお釜=アナルが壊れたので、箱根の温泉に湯治にやってきたことを、鋳掛けてお釜を直すとかけて洒落てみた句である。ちなみに、関東では、箱根の底倉温泉が痔には効くらしいとも書かれている。う〜む。勉強になる(笑)。
この本には他にも、蔭間としての所作振る舞い、つまり接客マナーを指南した文献や、良いアナル/悪いアナルのランキングを記した文献などが数多く紹介されている。蔭間と、蔭間を支えた男色という文化を知るには最適の一冊である。

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渡辺信一郎『江戸の色道』口絵より、『江戸男色細見菊の園』の蔭間の図。提灯を持った男は、マネージャー兼付き人の、まわし男。

さて、では、蔭間はホモだったのか? これは難しい問題である。そもそも、12、3歳の頃からアナルを開発され、男の客を取らされるのである。セクシャリティ云々の以前に、“そういうもん”という自覚しかなかったのではないか。では、女とはやらないのか?といえば、やったのである。蔭間茶屋には御殿女中や後家が足繁く通ったことが、多くの古川柳や文献に記されていることも、この本に紹介されている。

女へへのこ男へけつを売り
(渡辺信一郎『江戸の色道』に紹介された古川柳より)

へのことは、チンコのこと。つまり、女にはチンコで、男にはアナルで商売したということである。もぅね、何でもあり(笑)。売る方も売る方なら、買う方も買う方である。

ちょっちょっと蔭間を買って偏らず
(渡辺信一郎『江戸の色道』に紹介された古川柳より)

ちょっとは蔭間でも買って片寄らないようにしようかなぁ、といった感じである。「偏らず」ってところが、なんとも大らかで良い。「女色も深く嗜み、それだけに偏することなく男色をも究めることが、色道としての正道であるという認識なのである」と渡辺氏も書いている。もぅね、何でもあり(笑)。

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渡辺信一郎『江戸の色道』口絵より、杉村治兵衛『欠題』。

そんなわけで、蔭間茶屋の中では、こんなことも広く行われていたらしい。男ー男ー女のプレイである。真ん中が、蔭間である。この浮世絵版画を見ていると、昨今、ホモビデオの1ジャンルとして確立した、男ー男ー女ビデオのワンシーンのようである。かつては、女が出てくるホモビデオなど想像も出来なかったのに。今も昔も、何でもありなのね(笑)。

この本を読んで、近世・江戸時代の性愛文化の大らかさに、あらためて驚かされる。男だろうが、女だろうが、へのこ(チンコ)だろうが、アナルだろうが、気持ち良けりゃ、何でもあり。昨今のホモビデオに出ているケツの感じるノンケたちには、そんな時代の遺伝子が息づいているのかも知れない(笑)。

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渡辺信一郎『江戸の色道 ─ 古川柳から覗く男色の世界』(新潮選書/2013年 発行/ISBN 978-4-10-603733-7)

異性とセックスする=異性愛、同性とセックスする=同性愛などと考えるようになったのは、わずか近代以降でしかない。まして、ホモとか、ゲイとか、LGBTとか、セクシュアリティとアイデンティティを結びつける発想も、ごくごく最近のことでしかないのだ。セクシュアリティなんぞというものにがんじがらめにされている、現代人にとって、この本に描かれているような、それ以前の、大らかで、何でもありの性愛文化が羨ましくも見えるのだ。私にしても、男ひと筋、ホモ一本でこれまで来たが、それも、もったいない気がしてくる。なんだか悔しいのである。とっても悔しいのである(笑)。ま、もっとも、今さら、女となんかやろうとは思わないけどね。せいぜい、平成元禄の若者たちの、なんでもありの性愛の様子をビデオで拝見させていただき、満足することにしよう。

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