第40号 コミュニティ感覚を知ったプライドパレード 古いアルバムから

 

 6月最終日曜は、北半球の大都市で性的マイノリティのプライドパレードが開催されるならわしです。アメリカでは連邦最高裁でその直前に出された同性婚の合憲化判決を受け、全米における結婚の平等達成を祝福し、パレードも大いに盛り上がった模様(アメリカは6月が年度末で、大きな憲法判断もこの時期に集中する偶然によるものだそうですが、なによりのプレゼントになったでしょう)。それらの模様は、東小雪さんの連載でも紹介されています。

自転車に乗るように飛行機に乗って海外旅行に出かけるゲイが多いなか、49歳の私はほとんど海外に出たことのないアン・シャイニーなゲイ。中国3回、サンフランシスコ2回がすべての渡航経験のなかで、そのサンフランシスコ(1992年と2004年)はどちらもプライドパレード関連というお粗末です。
今日は梅雨の中休みじゃないですが、古いアルバムから、そんな旅(パレード)の思い出を。おノボリさんの土産話ぐらいつまらないものはないでしょうが、しばしお付き合いください。
 ●1992年のサンフランシスコで、︎音楽がつなぐコミュニティを実感
1992年6月に、当時参加していたゲイグループの仲間と一緒にサンフランシスコのゲイコミュニティ参観のために訪れたときは、パレードもさることながら、さまざまな団体を巡って、大変刺激を受けたことをいまも鮮やかに覚えています(日本に帰れば、アメリカかぶれ、リブかぶれ、と揶揄されるわけですが。苦笑)。

サンフランシスコのパレードは、誰でも参加できるというより、市の目抜き通りを封鎖して、あらかじめエントリーした団体が行進し、市民や観光客が沿道から、つぎからつぎへとやってくる多彩なフロート(山車)や行進を応援し見物するという、いわば「阿波踊り」(?)みたいな感じです。たしか有料の特設観覧席もあったような。私たちも、現地での団体面会の手配やホームステイをお願いしたNGO(アジア太平洋系のゲイのグループ)とともに歩きました。

そのパレード以上に、私にはいまでも懐かしく思い出されるシーンは、たしかその前夜、カストロ劇場でさまざまな音楽サークルが一堂に会したイベントが開かれたこと。そう、前号の話ではありませんが、合唱やブラスバンドなどの音楽サークル活動は、彼の地でも(当然ながら)盛んで、コミュニティの結束感をおおいに高めていました。私たちのホストNGOにも合唱サークルがあり、中国、韓国、日本、東南アジア、フィリピン、ミクロネシアなどにルーツをもつメンバーらによって、それぞれの地域の民謡や童謡を披露(日本は赤とんぼが歌われた)。ダイクと呼ばれる「男っぽい」レズビアンのお姉さんたちの豪快なゴスペルも、客席からやんやの喝采を受けていました。

私はこうしたゲイ団体のコンサートがそもそも初めてで、ホストNGOの人からコンサートの切符買ってと言われたとき、正直、「え〜、そんなの面白いのかな」と思ったのですが、行って、おなじゲイたちが歌うのを聞いて、「いいな〜、これがコミュニティ活動なのか」とはじめて実感したしだい。だって、そんな経験、それまで日本でしたことなかったですから。私だって生まれたときからコミュニティコミュニティと言ってるわけじゃない、こういう経験を通じて、コミュニティ感覚を身体で教えられていったのです。

 ●コンサートに用意されていた手話通訳
コンサートでは印象に残ることが2つありました。
司会というか、出演団体の紹介役を、あるレズビアンの政治家が務めていたこと。たしか市のスーパーバイザー(市議会議員とも訳されますが、広大なサンフランシスコ市郡で10人弱の、選挙で選ばれる、市長とともに大変権威のある役職。ゲイとして初めてこれに当選したのがハーヴェイ・ミルクです)でした。彼女はまもなく大統領就任が決まっていたクリントンに引き抜かれてホワイトハウス入りする、と聞きました。彼女がスピーチし、司会役として団体を紹介し、コンサートが進んでいきます(後半からは通常の司会者に変わりましたが)。
これは観客たちからすれば、自分たちが市議会に送り込んだ代表と、このひとときを楽しんでいる、ベタに言えば「おらがセンセイ」を迎えての一体感がありました。同性愛者と政治家、選挙といえば、東郷健氏のイメージしかなかった私たちには、ずいぶん清新な感覚でした。

さらに私の目を引いたのは、その司会者のかたわらに手話通訳が立っていたことです。
おわかりでしょうか。これは音楽会です。聞こえない人が来て楽しいのでしょうか!?
そう、やはり楽しいのですね。おなじ仲間、友人たちが大きな口を開け、リズムに身体を揺らし、手を拍ち、顔を輝かせているステージの晴れ姿を見る、それはやはり楽しいのです。鼓膜には聞こえなくても、きっとどこかに、歌声やメロディは聞こえているのでしょう。

そして自分たちの代表が語る祝福と鼓舞のメッセージを、手話を介して受け取るのです。だから音楽会に、聞こえない人も来る必要があるし、実際、来たいし、そのために運営者は手話通訳を用意するのです。これがコミュニティなんでしょうね。

ステージ袖の手話通訳者に、コミュニティのもつ力をハッと気付かされたとき、私の涙腺は思わず決壊……したかどうかは記憶にありませんが(笑)、いまでもこの夜のことは印象深く思い出されるのです。

 ●あちこちに、それぞれがんばる人がいる
以上は1992年の思い出ですが、2004年に超久しぶりにサンフランシスコを個人で再訪したときは、のんきにパレードを楽しみました。沿道は全米、いや世界から来た観光客で埋め尽くされ、市の一大観光イベントであることを実感しました(当然、ドル箱イベントです)。
また、ボランティアスタッフが手渡す分厚いパンフレットには、さまざまな企業の広告が踊り(金融、不動産、旅行、自動車、家具、服飾、食品、酒類、法律その他さまざまな専門家サービス、……)、LGBTマーケティングは完全に定着しているようです。

すでに10年以上まえのパレード光景ですが、町や生活に根付いたわれわれの姿、パレードやコミュニティの風景を、古い写真で恐縮ですが私なりのチョイスでご覧ください。

【パレード直前の町の様子】
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サンフランシスコのゲイタウン「カストロ」には、サンフランシスコ市が送った大きなレインボー・フタッグがつねに翻っています。6月のプライド月間中は街灯や店舗にも旗を飾り付け、鮮やかです。
おノボリさんの私の目についたのは、街中の大きなセーファーセックスのポスター(タイタンというビデオレーベルが協力。手のコンドームにご注意)。あと、カストロはなぜかスキンケアショップと花屋さんが多かったのが印象的でした。もちろんカストロ地区だけでなく、ダウンタウンも祝祭色濃厚で、CDショップのHMVではゲイミュージックフェアをやってました。

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パレード前後は、レズビアン・ゲイ映画祭のシーズン。カストロ劇場まえで入場を待つ人。たしか日本からは「百合祭」が出品されていた記憶が……。
パレード前日に会場となる市庁舎前に行ってみると、ステージやNPOのブースがならび、経験談をスピーチする人も。登壇中の彼女は、いじめられの経験を語っていました。なにもアメリカがゲイやレズビアンの天国であるわけもなく、差別や迫害はつねに存在しています。そして、それに抗う運動も、こうしてつねに存在するのです。
ステージの奥は市庁舎。玄関にレインボーフラッグが掲げられていました。

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こちらは全米にブランチ(支部)がある老舗団体「家族と友人の会 ピーフラッグ(Parents and Friends of Lesbian and Gay)」のブース。手前のおじいさんの看板には「わたしゃ81年と9か月、ゲイです!でも、これはやがて通り過ぎる人生の一時期にすぎないでしょう。81 YEARS(AND 9 MONTHS)OF BEING GAY! BUT MAYBE IT’S JUST A PHASE I’M GOING THROUGH.」と。同性愛は思春期の一時的な感情などとアドバイスする精神科医などへの強烈な皮肉。これが本当のゲイプライドですね。

【パレードから】
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パレードではつぎからつぎへと団体が行進。企業PR、職場グループ、NGO、団体、趣味、ブラバン演奏やバトントワリング、クリスチャン団体、政治家……。まあ、なにをお見せしてもキリがありませんが(笑)、これオモシロイかなと思ったものでは、消防署のグループ(消防車や救急車、総動員です。いいのか!笑)、市の公衆衛生局の性病キャンペーン(後ろのゆるキャラは、ヘルシーペニス君と言います)など行政も参加。他に、「LIVING SOBER しらふで生きる」はアルコール依存症の自助グループ、「STRAIGHTS FOR GAY RIGHTS 同性愛者の人権を支持する異性愛者たち」。当事者だけでなく、支援者も混ざっての行進です。

【市庁舎前で】
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パレードの帰着点である市庁舎まえ広場でも、さまざまな光景がありましたが、こんな写真もとってました。手をつないでいるのは、やっぱり年取ると転倒が怖いですからね(違う)。

【コミュニティセンター】
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パレードが終わったあと、少しは見学もしましょう、と、市のLGBTセンター。サンフランシスコになんでいまさらコミュニティセンターが必要?(町中がセンターみたいなもの)、との声もあったそうですが(笑)、ちょうど2003年頃、古い建物を生かしてLGBTセンターができました。さまざまな活動に利用されています。
右上の部屋は、親に迫害され家出してきたストリートユースのためのシェルター。壁の写真はパレードの直前(2004年2月)、市長が同性の結婚許可証を発行したときの記念写真(この措置はただちにカリフォルニア州の司法長官が訴え、3月、州最高裁が発行停止を決定。のち結婚も無効に)。同性婚の達成ひとつにも、各地で多くの人びとによる長い闘いがあったことがしのばれます。
案内してくれたスタッフさんの後ろのレインボーフラッグには、センター建設の寄付者の名前がびっしり。

海外風景というと、なにかとシャイニー感満載に思いがちですが、NPOの人たちをはじめ、さまざまな人たちが地道に活動し、胸を張ってごく普通に暮らしていました(アルコール依存から立ち直ろうとしている人や、互いに支え合うご老人カップルも)。そうした町の厚みへの感動がいまの私の根底にあるのかな、と懐かしく思い出しました。

【お知らせ】
このたびご縁があって、読売新聞の医療サイト「yomiDr.」で、「虹色百話〜性的マイノリティーへの招待」と題して性的マイノリティーのあれこれをつづるコラムを寄稿することになりました。こちらは毎週木曜が更新です。2CHOPOともども、ぜひご愛読くださいますよう、お願い申し上げます!

 

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