第71回 最高齢のゲイバーのママ 洋チャンと、ケニーという絶世のゲイボーイのこと。二丁目以前のゲイバーの様子を知る、富田英三『ゲイ』

 

今年3月、逝去された金子國義氏のオフィシャル追悼イベントが行われる。その名も、『放蕩娘(Vamp)ナイト』。陽気で、茶目っ気あふれる金子先生らしく、歌あり、踊りあり、オカマありの華やかなパーティとなる(笑)。私は、生前の金子先生を知るオカマとして、トークショウに出演することになった。その対談の相手というのが、知る人ぞ知る新宿二丁目最古のゲイバー「洋チャンち」のマスター洋(よう)チャンである。
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「新千鳥街」にある「洋チャンち」の外観。
新宿二丁目がゲイの街となったのは、1958年の売春防止法の施行以降だといわれている。「赤線」の店が閉め出され、空き家となったところにゲイバーが店を出し始めた、というのが定説だ。次第にホモがホモを呼び、街全体で200〜300件ものゲイバーが集まる、世界的にも有名なゲイタウンとなるのである。
新宿二丁目に大きな変化が訪れたのは、80年代。バブル期である。戦後から残っていた木造モルタル建ての建物は、この時期までにほとんどがこぎれいな商用ビル(雑居ビル)へ立て替えられた。ちなみに、第7天香ビルの竣工は1973年。セントフォービルの竣工は、1980年。現在、私たちがイメージする二丁目の姿である。第2世代の二丁目と呼んでも良いかもしれない。しかし、その当時に建てられたビル群も、そろそろ築30年を超え、老朽化が進んでいる。新宿通りや仲通に面した好立地のビルは、すでに建て替えられた物件も多い。これからは第3世代の二丁目へと移り変わっていくのだろう。
歴史の移り変わりから取り残されたような一角が、二丁目にもある。中通りに面した「ルミエール」の角を曲がった路地にある、「新千鳥街」だ。もとは「千鳥街」として、いまの御苑大通りのあたりにあった飲み屋街だった。区画整理によって、「新千鳥街」として移転してきたのである。「新千鳥街」には、いまだ赤線時代の建物がそのままの形で残されている。間口が狭い店舗が密集し、2階建て。おそらく、かつては、上下階で一軒の店であったのだろう。1階で飲んで、女の子を選び、2階でそのまま“取引き”をしていたのだろうと思われる。
そんな「新千鳥街」に、「洋チャンち」はある。手紙が届くこともあまりなく、斜めになった郵便受け。植木がずらりと並び、その足元には、野良猫のためにエサ入れが置かれている。猫好きの洋チャンらしい。まるで、おばあちゃんの家を訪ねたような、懐かしい雰囲気だ。入り口が2つあり、今は使われていない側のドアには、「会員制」の看板が。ゲイバーが秘めやかな時代であった名残である。
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映画『メゾン・ド・ヒミコ』より。写真上/「メゾン・ド・ヒミコ」をはじめて訪れた柴崎コウ(右)と洋チャン。写真下/オダギリジョー(左)と洋チャン。
先日、トークショウの打ち合わせと、挨拶のために「洋チャンち」を訪れた。店内は、5人も座ればいっぱいになってしまうほど狭い。カウンターの中に座った洋チャンは、ニコニコと柔和な顔で迎え入れてくれた。お目にかかるのは初めてであったが、二丁目最古のバーの、二丁目最高齢のマスターとして存じ上げていた。ご尊顔は、映画『メゾン・ド・ヒミコ』で拝見してはいた。
オダギリジョー柴崎コウが主演した、ホモの老人ホームを舞台に繰り広げられるドラマで、洋チャンは、そこの入居者キクエを演じていらした。劇中、「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れた柴崎コウが、はじめて出会うホモ(というよりオカマ)である。観客に鮮烈な印象を与えたキクエだが、そのイメージそのままの洋チャンである。やはり、本物の風格(笑)。強烈な存在感だ。監督が、スクリーンに最初に映し出すオカマとして洋チャンを選んだ理由がよくわかる。
狭い店内の壁という壁には、ぎっしりと古い写真やポスターが貼られていた。その一枚一枚を指さしながら、洋チャンが解説してくれる。「ほら、そこにあるのが製作発表の時の写真で、オダギリジョーの隣が洋チャンよ」「柴崎コウのサインが、あそこにあるわよ」といった具合だ。ぐるりと見回すと、西田敏行のポスターに、デヴィ夫人と一緒に写った洋チャンの写真……。いずれもサイン入りである。もはや、洋チャンの独壇場だった。もちろん、彼にしたら、これまで何百回も何千回もくり返してきたトークだったのだろう。スラスラとよどみなく講釈が続く。それを聞くだけでも、日本の芸能史を学ぶことが出来るほどだ。
続いて、ファッション業界へと移る。「それが、コシノ(ジュンコ)さんね」「これは、(ヤマモト)カンサイさんと平田さんと、洋チャン」……平田さん? もしかしたら「帽子の平田暁夫先生ですか!?」と、思わず聞き返してしまった私。その時、洋チャンの眼底にキラリと光が。やさしげなまなざしが一瞬、鋭く変わった気がしたのである。平田暁夫は、美智子妃の帽子を作ったことで有名な帽子のデザイナーである。

御年78才の洋チャンからしてみれば、私なぞ、ほんのヒヨッコである。こんな頭の悪そうな風体の若造(!)が平田暁夫を知っていようとは思ってもいなかったのだろう。それに気をよくしたのか、私はどうやら1次試験はパスしたようだ。それ以降も、洋チャンと交友のあったさまざまな著名人たちのエピソードを話して聞かせて下さり、秘蔵の品々を拝見させていただいた。

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「洋チャンち」の壁に貼られていた、ケニーのポートレイト。富田英三『ゲイ』の口絵より。

そしてついに、店に入ったときからずっと気になっていた一枚の写真について、洋チャンにたずねる機会を得た。それは、カウンター中央の壁、客に一番に目立つ場所に貼られていた。横縞のシャツを着た、鼻筋の通った美少年。しかし、その目には、しっかりとアイラインが縁取られていた。
「そのお写真、ケニーさんですよね?」
「そうよ。洋チャンはね、ケニーおねえさんに本当にお世話になったのよ」
ふと、洋チャンの顔が、懐かしいとも、悲しいとも、恋しいともつかぬ、不思議な表情に変わった気がした。
洋チャンは、78歳。逆算すれば、1937(昭和12)年の生まれである。中学2年生の時に、浅草で、お小遣いをあげると声をかけてきた男とはじめて経験をしたと語る。それから、いくつかの店を渡り、1973(昭和48)年に「洋チャンち」を開店したとのこと。つまり、戦後日本の同性愛者の歴史と、二丁目の勃興をつぶさに見てきた生き証人とも言える。そんな洋チャンが“おねえさん”と慕うケニーとは、何者であるのか?
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今回は、富田英三著『ゲイ』を紹介することにする。これは、漫画家で劇作家の富田英三が、1958(昭和33)年に出版した『ゲイ』という随筆集の一篇だ。彼は、“同性愛の研究家”を名のり、自ら経験、見聞した同性愛の世界を活写している。当時の同性愛社会の状況を知るのにとても役立つ一冊である。とはいえ、著者が劇作家であるためか、少々、思い入れの強すぎる文章が気になると言えば、気になる。たとえば……
 もはや、その世界は、男女の性の別のない、全く、別の性の世界の、どろんこにまみれた悪癖の遊戯である。白昼の妖夢である。
 悲しい人間どもである。人間どもの世界である。
 男に生まれて男に生きられない男たち。
 女性に変性して男を求めるその性の倒錯者たちは、神さまの創造した人間の中の失敗作であるのか、あるいはまた、希少価値のある異状作品なのか!
 神様さえご存じない、人類にだけある異常な蒼白い断層だ。
 摂理をこえて、無機物化した世界のうめきだろう。
(富田英三『ゲイ』収録の、『第三の性』より)
富田は妻帯していると書いているが、男娼やゲイ・ボーイに興味があるらしく、彼(女)らと遊んだことも赤裸々に書かれている。ならば、女装好きのノンケかと思えば、化粧を落としたゲイ・ボーイとも遊んでいる。それならば、ただのホモセックスである(笑)。著者のセクシュアリティが気になるところだ。

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グリニッチ・ヴィレッジを訪れた時の、著者(右)。富田英三『ゲイ』の口絵より。

さて、ケニーである。ケニーは、その美貌と若さで有名だったゲイ・ボーイだ。当時の同性愛関連の書籍や雑誌の記事に、しばしば写真入りで紹介されている。当代一のゲイ・ボーイとでも言おうか。今では、ゲイ・ボーイというと、女装したオカマのことを指すが、当時は、完全女装したタイプとは一線を画す存在だった。きれいに化粧して、女らしい態度物腰、しゃべり方でありながら、男であることは隠さない。洋チャンも、「オカマとは違うのよ。着物も着流しって決まっていたのよ」と語っているように、完全女装のオカマとは明確な棲み分けがなされていたようである。“シスターボーイ”とも呼ばれた。今風の呼び方では、オネエとでもなるのだろうか。当時の人気オネエであったケニーの略歴を、同じく『ゲイ』収録の一篇『美少年ケニーと自殺したミチル』から紹介しよう。

「私、小っちゃい頃から女の子のように育てられたでしょう。おままごとが好きで、幼稚園の頃なんか、リボンつけて行ってたわよ。…そして、中学一年生の時、生物の先生から、いろいろなこと教えられたの。性のめざめね…。ドキドキしちゃった…まだ純情だったんですもの…」
 ケニーは生いたちをこう語ったことがある。「高校一年の時、学校がいやになってやめちゃったんです。そして映画ばかり観に行ってたんですけど、そこでまた、同じような境遇の人にあっちゃって、銀座の、例の“ブランスイック”…そこへお茶をのみに誘われましたの。そしたら、そこで、私たちみたいな人が働いてるでしょう。それに、そこのマスターが“学校へ行きながらでもいいから遊びに来ないか…”というもんですから、夜だけ行ったのです。十日ばかり行ってやめちゃったんですけど、その間に、こんな社会のあることを知りましたわ…」
 そして、ケニーは、新橋駅前にある汁粉屋の折鶴の上にあった“ボビー・クラブ”に入った。銀座の“青江”の一期生になったのはその後である。
 美少年には、やがて、パトロンがついた。店を持ったのである。
(富田英三『ゲイ』収録の、『美少年ケニーと自殺したミチル』より)

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富田英三『ゲイ』のトビラ絵。イラストは、おそらく著者によるもの。モダンなデザインが、秀逸。

ここで、ちょっと長くなるが、新宿二丁目にゲイバーが集結しゲイタウンと化す、その前夜のゲイバーの状況を見てみよう。本書に収録の『発生』に、戦後のゲイバーの歴史が早わかり出来る一文があるので、引用する。

 ゲイ・バアの系図を作ってみよう。
 まずは宗家のような新橋烏森の“やなぎ”だ。
 大きな島田まげをかぶった大柄なここのお島ちゃん。彼はゲイ・バアの大姐御というべきか。もっとも、今は、ここが支店になって、おとめにまかせっきりだが。
 このやなぎの一番弟子青ちゃんが、銀座二丁目にバア“青江”という店を出して独立した。
 そして、この“青江”で育てられた一期生の、美少年ジミーとケニーが、それぞれにまた独立した。
 ジミーは銀座七丁目、新橋検番前にジミーなるバアをかまえ、ケニーは神楽坂、新宿南口を経て、今は、新宿コマ裏の、やはり“ケニーの店”なる名のバアのママに収まっている。
 最近は、また、このケニーの店からハリーというゲイ・ボーイが分離独立して、中野駅北口のバア街に“ハリーの店”なる看板をあげた。
 一方、有楽町の“ボヌール”から、新宿千鳥街“ボン・ソワール”のママが出、そこにおったトンコなる才気あふれて、つまみあげたような鼻の茶目っ子ゲイ・ボーイが、コマ劇場のうらに“ボン・ジュール”なる店を持った。
 ボンがつくゲイ・バアは、ボヌール系。
 東京夜の新名所ゲイ・バアは、アミーバのように細胞分裂してゆく。そして、客がつく。客がパトロナイズする。現代の凄まじい現実なのだ。
 都内に五十軒といわれる。新宿だけでも“シレー”“フルール”“ボン・ジュール”“チャーム”“ふくわ”その他“ボン”“ボン・ソワール”“ケニーの店”がある。渋谷には“ドール”。池袋にも“ももぞの”。
 ゲイ・バアは、今や、東京の流行ともなった。

(富田英三『ゲイ』収録の、『発生』より)

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「青江」のママ、青ちゃん。富田英三『ゲイ』の口絵より。

「ところで、先生、どこ?ごひいきのゲイ・バアは?」と、僕へほこ先がきた。
「そうだね…今んところ、新宿…の…」
「新宿のどこ?」
「ケニーの店かな…」
と答えて
「ケニーは秀逸だね…」
(富田英三『ゲイ』収録の、『ゲイと少女』より)
著者もケニーにご執心だったようだ。
「いらっしゃい…センセ、思い出したようにしか来て下さらない…薄情だわ…」
 顔が合うと、ケニーは、薄暗いスタンドの中の、下からてりあげるネオンの灯に、柔らかいあごから頬のあたりにかけての、ふっくらとした顔を美しく描いて挨拶をする。
 太い首筋さえ見なければ、それは女の顔だといえようほど、なよなよとした優しさだった。
 額にたらした前髪。
 黒くくまどったつぶらな瞳。
 そして美しい鼻梁。
 銀座のバア“青江”のママが、きりりとひきしまった現代の、モダン芸者型の代表ゲイ美人ともいえようではないのか。
 師弟の仲であるが、青江から出た逸才…ともいうべきだろう。
 そして、青江のママ(勿論男さ)が、名刀のような切味と艶麗、才智のかたまりのようなひらめき見せるのにくらべて、ケニーのそれは鈍刀のそれだった。それが売物かも知れないが…。
 ケニーの口のせいも手伝っていよう。
 大きく、しまりのない口だった。
 そして厚く、うけた下唇。それは貪慾なソドミストにとっては、情欲をそそるものだったが、また、ケニーにある白痴の美を添える一つの道具だてでもあった。
「ケニーの顔を見るとさ、僕はセックスを感じるんだよ」といったことがある。

(富田英三『ゲイ』収録の、『美少年ケニーと自殺したミチル』より)

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ウクレレを弾くケニーと、「ケニーの店」の店内の様子。富田英三『ゲイ』の裏表紙より。

と、まあ。ずいぶんと入れ込んでいたようだ。文中に「僕は、時折、ケニーを連れ出そうとも思った」と書かれているが、著者ははたしてケニーと遊んだのであろうか? それは、どうやら無かったようである。「事実、この若い世代の、新しい形のゲイのケニーたちは、フンイキだけを売物にしているのでもあった」とあるからだ。フンイキ、つまり、素振りだけを売り物にして、体は売らなかったということである。逆にいえば、ケニーらの世代以前のゲイ・ボーイたちは、ウリ専を兼ねていることが当たり前だったということではないか。
 とにかく、ゲイといわれる今日の男色の世界には、確かに、ひと昔前の、あのかげまなり男娼なりに使われた「オカマを掘る」という言葉はなくなっている。
(富田英三『ゲイ』収録の、『美少年ケニーと自殺したミチル』より)

先に述べたが、当時のゲイ・ボーイたちが、完全女装のオカマと自分たちとの差異を強調していた理由は、どうやら、ここにあるのかも知れない。つまり、体を売るオカマと、体を売らないゲイ・ボーイの違いである。また、この一文から、体を売らずともゲイ・バアを経営していけるだけの需要と利益があったことを意味している。日本の同性愛の状況の変化も見て取れる、貴重な一文であろう。当時を知る同性愛者たちも少なくなってきている。今となっては、文献から類推するしかない歴史である。ケニーは若くして亡くなったと聞いた。生前のケニーを知る、数少ない一人である洋チャンから、彼のこと、また、彼らを取り巻いた時代のことを、いまの内に書き留めておきたいと思ったのである。

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富田英三 著『ゲイ』(東京書房/1958年 発行)

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DVD『メゾン・ド・ヒミコ初回限定スペシャル・パッケージ(アスミック/2006年 発売/4935円)

 『放蕩娘(Vamp)ナイト』での洋チャンとのトークショウが、いまから楽しみである。金子先生の思い出話はもちろん、同性愛や二丁目の歴史や文化までをお聞きするつもりだ。金子國義ファンならずとも、楽しんでいただけると思う。ぜひともお出でいただきたい。

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『放蕩娘ナイト〜金子國義へささぐ夜』 日時/2015年8月29日(土)、会場/銀座「砂漠の薔薇」、料金/前売り3800円1ドリンク付き、当日4000円1ドリンク付き。詳細は、https://www.facebook.com/pages/Office%EF%BD%B0i/864947886928587?fref=nfで。

 

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