第74回 ハッテンバは、地獄宿か? 1978年『週刊プレイボーイ』、牛次郎の渋谷「千雅」潜入ルポ。

 

いよいよ8月31日(月)に、私がナビゲーターとなり、同性愛の文化や歴史をたどるトーク・イベント『あの日見たマーガレットという花を僕達はまだ知らない。(略して、あのはな)の第2回目が行われる。ミッツ・マングローブをゲストに迎え大盛況だった第1回に続いて、今回は、社会学者の石田仁氏をお呼びして、ハッテンバをテーマにお送りする。
ハッテンバについては、いまさら説明する必要もないと思うが、ホモ同士が出会い、場合によってはセックスすることの出来る“場”のことである。大きく分けて、公園や公衆便所などの野外系と、ホモ専用のサウナやヤリ部屋、ビデボなどの営業系のものがある。今回は、営業系ハッテンバのルーツともいえる「淫乱旅館」を取り上げる。石田氏は、「淫乱旅館」がいかにして生まれ、そして、ホモ向けビジネスとして成立していったかの過程を研究している方だ。さまざまな貴重なエピソードを交え、ホモ独自の文化である「淫乱旅館」の世界を紹介したい。
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『あの日見たマーガレットという花を僕達はまだ知らない。(略して、あのはな)』 日時/2015年8月31日(月)19:00〜24:00、会場/新宿二丁目「ArcH」、料金/2000円/1ドリンク付き。詳細は、http://aliving.net/schedule_detail.php?date=2015-08-31で
なわけで、イベントまでに、私も「淫乱旅館」を予習というか、復習しておこうと、書庫をひっくり返して資料を漁っていた。見つけたのが、これ。『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号である。『牛次郎が「隠れホモ・専用ホテル」にケッ死の潜入』なる記事が掲載されている。牛次郎なる人物は、漫画原作者として有名で、代表作『怪傑ライオン丸』『包丁人味平』『やる気まんまん』など。彼が、「トツゲキ体験」をするルポ企画の第6弾。
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★取材前 ───
PB 『週末のホモホテルって、かなり盛況で、ナマナマしい雰囲気だっていうんですがね』
牛 『だって、オレ、そんな趣味はないんだけど』
PB 『そんなこたァ、どうでもいいの。周囲を見てごらんなさい。こんな凄味のある取材を引き受ける人、ほかにいないでしょう。それに、劇画原作の参考にもなるでしょうが……』
牛 『ハイ、やりますよョ。どうせ、物書きになったときから、人生をなげてるんだ、オレ』
「人生をなげ」なきゃ出来ない「ケッ死」の「凄味のある取材」ってのが、ハッテンバだというのも、ずいぶんと思い込みが激しい。というか、妄想力ありすぎである(笑)。われらホモからしてみれば、たかだかハッテンバである。しかし、ノンケからしてみれば、手軽お気軽に繰り広げられる乱交は、さぞかし文化ギャップであったのだろう。当時はまだ、ハプニングバーのようなノンケのためのハッテンバはポピュラーではなかったのだから、羨望や妬みもあったに違いない。
さて、牛次郎氏、新宿・歌舞伎町で、まずは情報収集をすることにしたようだ。
 そこで出会ったカマ姫の名前はナント、ジュリーちゃん。そのジュリーちゃん、軀は小柄ながら本気でゴロまいたら確実にオレより強そう。マスクがどんなかは、ま、ご想像におまかせするとして、
「何よン、カワイがってくれるんじゃなかったのン……そうね、ホモ・ホテルってけっこう多いわよ。この新宿にだって3軒、鶯谷に1軒でしょ、スケールが小さいけど銀座にも1軒あるし、浅草、池袋……でも、お品がよくて、安心してエンジョイ出来るのは、なんといっても渋谷の道玄坂上がったところのホテル街にある“S”かしら、なんなら一緒に行く?」
「…………」
 オレは、相手のジュリーちゃんの眸(め)を盗み見る。犯される(注/「犯」にレイプとルビ)前の女の気持ちとはこれに似ているのではなかろうか。
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『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号より。
ジュリーちゃんは、ハッテンバ情報にも詳しく、この後、牛次郎氏と潜入取材に同行することから、いわゆるニューハーフではなく、職業女装のホモだったのだろう。彼女(彼)が挙げたホモ・ホテルはどこだったのか、検証してみた。鶯谷の1軒は、「一条」であろう。銀座の1軒は、「銀座ビジネスイン」。浅草は、「大番」「旅荘24(現・24会館)」。池袋は、「JIN-YA」だ。さて、はたして新宿の3軒とは、どこのことだったのだろう?
大型店なら「スカイ・ジム」と言いたいところだが、この号が出た時には、まだオープンしていない。「大番」の開店も、80年代に入ってからでなかったか? とすれば、3軒は、四谷の「たま井」、大久保の「新宿ビジネスイン」「立ち花(後の「法師」)」になるのだろうか。このあたりのハッテンバの歴史は、きちんと整理され書き残されたものがなく、今後の研究課題であろう。石田氏に期待したいところだ。
ジュリーちゃんに伴われ、彼女(彼)おすすめの渋谷の“S”へと向かう牛次郎氏。この“S”は、「千雅」のことである。「千雅」は、1975年に開店。「以前は男女の連れ込み旅館で、そこを借りてオーナーのKさんがホモ旅館としてオープンしたと、『薔薇族』編集長の伊藤文學氏は、『初代「薔薇族」編集長のつぶやきブログに書いている。
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『初代「薔薇族」編集長のつぶやきブログ』、 『元ヤクザのKさんに助けられて ─ 渋谷「千雅」物語2』より。写真左/伊藤文學氏、写真右/「千雅」のオーナーK氏。
「千雅」のKさんと、若いマネージャーが、わが家を訪ねてきた。その頃の『薔薇族』は広告を一切に入れてなかったので、なんとか記事にして欲しいという。お客さんがあまり来なくって困っていたからだ。早速、「千雅」を訪ねてみたら、館内はすみからすみまで清潔そのものだったので、これなら読者にすすめることができると思ったが、ただの紹介記事ではつまらない。そこで思いついたのは、ノンケの男を潜入させて記事にしようというプランだ。
(『初代「薔薇族」編集長のつぶやきブログ』、 『つわものどもの夢のあと ─ 渋谷「千雅」物語1』より)
それが、『薔薇族』No.34 1975年11月号に掲載された『本誌特派 ノンケ紳士のゲイホテル潜入記 ─ 戦慄の男性初体験!!』である。後に直木賞を受賞した胡桃沢耕史(当時は、清水正二郎)氏を、「千雅」に潜入ルポをさせた読み物であった。はじめて男にチンコを咥えられ、乳首をつままれながら射精するという、まさに体当たりの取材を敢行。この記事のおかげで、「千雅」は大繁盛するようになったと、伊藤氏は語る。
当時のホモの間でこの記事が話題になったことは、想像に難くない。ホモ向けビジネスの宣伝をする媒体がなかった当時、この記事によって集客が増えたのも当然だろう。一方で、ハッテンバにノンケが潜入することに対し、嫌悪感を示すホモもいたようである。
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『初代「薔薇族」編集長のつぶやきブログ』、 『つわものどもの夢のあと ─ 渋谷「千雅」物語1』より。外観や室内の写真が掲載されていて、貴重。
引き続き、牛次郎氏のルポで、「千雅」の様子を見ていくことにする。
 自動ドアが開いて一歩入る。と、そこに、ホテルにしては異様な、銭湯によくある番号つきの下駄箱がずらり並んである。
「セルフサービス、自分で靴はしまって、鍵をお帳場に預けるの」
 いわれるままに、熱帯魚の水槽のかげにある帳場に鍵を渡す。こうなったら、まさしく嫁に行った晩じゃないが、いわれるまま。といってすべてを許すという意味ではないから誤解されると困るのだが……。
 下駄箱の鍵と引き替えに、ロッカーの鍵と“貴方の番号札です、なくさないで下さい”と書かれた手札をくれる。
 料金は、大部屋というか雑居部屋が1500円也、個室は3000円である。
 ロッカーの中には浴衣が用意されてあり、入浴後、プレイをエンジョイ、という式次第。本格派プレーヤーは、なんといっても、雑居部屋をフランチャイズにする。ひと部屋に、布団が、5、6組、隙間なく敷かれてある、枕元には、ティッシュと、ラークとかセブンスターのデザインが施されたゴミ箱がズラリと並ぶ。その手の部屋が、1階に3室、2階に3室ある。
ここで面白いのは、入場料が、40年経ったいまとさほど変わっていない点である。不況知らずの業種なのか。もしくは、ホモがハッテンに使う金額の上限が、このぐらいだということか。
 眸を凝らして暗い室内を覗き込めば、ああ……し、しかし、しかし、しかし……。
 そこで展開されている図は、まごうかたなき地獄絵図!
 大の字に寝た男ⓐ。そのⓐのシンボルをⓑが咥える。ⓐはⓒのシンボルを。ⓑのアヌスにはⓓのシンボルがぶち込まれ、もぞりもぞりとうごめき、唸き声(注/原文ママ)を発しているのだ!(オレは悪夢を見ているのだ!)
そこには、牛次郎氏には地獄に見えたかもしれないが、私にとっては極楽のような光景が繰り広げられていたわけだ(笑)
 が、オレはすでに、吐き気が限度にまで来ている。
「か、かんべんしてくれ。も、もういいよ」
 と、ほうほうの体で逃げ帰る。
「ふう……ひでえものみた」
 ロッカーで、変装用?の浴衣を脱ごうと、鍵をまわす。ロッカーは上下2段になっていて、オレは下の段だったので、屈み込む。
 その尻に、
 コツ……
 異様に硬いものが当たる。
「うっ!? ── 」
 背筋を走る殺気。
 案の定。立っていたのだ。特定少数の一人が、抜き身をオレの、そう、こともあろうにオレの尻に……。
「ち、違うんだッ! 違うんだぁーッ!」
という、お約束通りのクソみたいな結末がついて、このルポは終わる。ホモにチンコを咥えさせ、乳首をつままれながら射精した胡桃沢耕司氏にくらべ、牛次郎氏のヘタレぶりに腹が立つ。そのくせ、地獄だの何だの言っておいて、「オレって、ホモにもモテるんだぜ」と言いたいだけじゃねぇか。モテたってしょうがないだろ! お前、ノンケなんだから!と、ツッコミを入れたくなる。でも、あまりにも月並みな展開なので、それさえめんどくさい。このノンケの屈折した心理は、いまだに理解出来ない(笑) 。
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『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号より。
渋谷「千雅」は、当時、もっともイケてるハッテンバであったことは、ネット上の書き込みでも散見される。芸能人も数多く訪れていた、とか。外国人も多かった。若くハンサムな客が多い、といった内容だ。ミッシェル・フーコーもやって来たという、噂話まで残っている。
ところが、「千雅」は、この記事が出て間もなく閉店してしまう。時代は80年代に入り、「スカイ・ジム」や「新宿 大番」などの大型店舗が出来き、それと入れ替わるように消えてしまった。意外や、短命であったのだ。
ここからは想像に過ぎないが、オープンからしばらくは『薔薇族』の効果も手伝って繁盛していたのだが、次第にかげりを見せていたのかも知れない。『薔薇族』の記事も「千雅」側からの持ち込みであったことから、『週刊 プレイボーイ』の本記事も、もしかしたら「千雅」側からの持ち込み企画だったのかも知れない。宣伝効果を狙って、夢よふたたび、ということか。だが、斯様な記事になり、ホモから総スカンを食らって、さらに客足が遠のいた。それが閉店の原因ではなかったか。
客からしてみれば、ホモであり、ハッテンバを利用しているという事実は知られたくないはずだ。斯様な潜入ルポを許してしまう店側の管理体制の甘さは、自分たちの素性がばれてしまう危険性でもある。そんなハッテンバで、安心してハッテン出来るわけ無いじゃないか! しかも、ハッテンバを「地獄絵図」だの「地獄宿」だのと書かれる不快感である。私の考えが正しいとするなら、商売に目がくらんだ「千雅」の大きな過ちがあったということだ。ま、確証はないけどね。
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『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号(集英社/1978年 発行)
さぁ、私も『あのはな』のトークのためのフィールドワークに、しばらくご無沙汰していたハッテンバに出かけることにするか……。でもな。入り口での入場制限が怖いお年頃である。入場出来たにしても、誰からも相手にされず、寝待ちしても顔をチェックされて「チッ!」と舌打ちされて取り残される恐怖。明け方になっても独り身で悶々している、初老のホモ。これほど恐ろしい地獄絵図はないよなぁ(笑)。
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サービスカット(笑)。あぁん。乳首の毛がセクシー! 『週刊プレイボーイ』1978年10月10日号の裏表紙より、「山本源兵衛の原酒」の広告。

 

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