第77回 ホモの恩返し。混血・前科10犯・詩人 上野の森のマリが雑誌に出た理由。

 

オネエがテレビに出たら、いくら貰えるのか? 昨今、これだけオネエがテレビに出ているのだから、さぞかし、おいしい仕事だと思われているに違いない。びっくりするぐらいの出演料ももらっていると思われているだろう。もちろん、それも間違いではない。
マツコをはじめとして、一部のオネエタレントのギャラは青天井である。だが、多くのオネエの出演料は高くても3万〜5万円止まり、ひどいと0円で使われている。
なぜ、そんなに違いがあるのかというと、テレビ界にある慣習のせいである。同じオネエでも、芸能人/タレントとして名のりを挙げ、事務所なりプロダクションに所属していると、ギャラの額は、それこそ青天井である。もちろん、人気があるかとか、数字を持っているかという能力によるが。ちなみに、2015年8月22日『日刊ゲンダイ』WEBの記事『マツコの勢い加速「中堅お笑いタレント」出演料ランキング』では、松本人志に次いで2位。局にもよるが、番組1本の出演料は130万円以上だと報じている。
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2015年8月22日、『日刊ゲンダイ』WEBの記事『マツコの勢い加速「中堅お笑いタレント」出演料ランキング』より。
一方、普通のオネエは、いわゆる“文化人枠”に入れられる。テレビに出ている作家や評論家も“文化人枠”である。この“文化人”に対しては、どんなに高名であっても、人気があっても、出演料の上限は3〜5万円程度に決まっているのである。おそらくその額は、この2〜30年間、変わっていないのではないだろうか。たとえば、スポーツ選手も“文化人枠”である。しかし、彼らは引退後、たいがいどこかの事務所/プロダクションに所属してタレントとして名のりを挙げる。ギャラが段違いに変わるからである。
この悪しき慣習のせいで、今でも、気の利いた“文化人”オネエよりも、クソつまらないオネエタレントの方がギャラが高かったりするのだ。具体的な名前は出さないが(笑)。
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「青江」のママ。彼の著書『地獄へ行こか 青江に行こうか』の表紙より。
そもそも、テレビにオネエが出るようになったのは、前回の記事でも書いたようにゲイバー「青江」のママが、その草分けだといわれている。私も小学生の頃、深夜番組『11PM』に出演しているのを、家人に隠れてこっそり見ていたものだ。ある日、居間のドアが開いて、父親が入ってきた。びっくりしたなぁ、もう。夜中に、真っ暗な部屋で、テレビに出てるオネエを凝視する息子。父親もびっくりしたに違いない。それでも、さすが我が父親である。ひと言、「将来のためだから、よく見ておけよ」と言い残して、部屋から出て行ったのである。……お父さん、いいつけ通りに、息子は立派なオネエになりましたよ(笑)。
テレビに引っ張りだこだった「青江」のママも、“文化人枠”だったろう。たいした出演料ももらっていなかったに違いない。それでも、彼がテレビに出続けていたのは、自分の店の宣伝になったからである。ゲイバー「青江」は、当時の人気店であった。大儲けしたに違いない。客寄せパンダ。「損して得取れ」ということか。彼の商売の才覚だ。
テレビ局側としても、安い出演料で、気が利いて人気のあるオネエは、便利に使える存在であったろう。「青江」のママに次いで、「吉野」ママや、数々のオネエ達がテレビに出るようになった。もちろんその中から、タレント/芸能人を目指すオネエも出てきた。カルーセル麻紀など、その例だろう。
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さて、雑誌メディアにおいても、オネエは格好のネタであった。客寄せパンダ的な扱いにうってつけの素材であった。もっとも、テレビにくらべ、ビジネス化されていない分だけ、ヘンテコなオネエを取り上げることも多い。それが、なかなか面白い。なんで、こんな人を取り上げてるんだろう? と首をかしげざるをえないオネエも登場する。今回は、そんな記事を紹介する。前回と同じ『女性セブン』1969年4月23日号からである。題して、『ある旅路 混血・前科10犯・詩人 上野の森の“マリ”・倒錯の青春』という記事だ。
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『ある旅路 混血・前科10犯・詩人 上野の森の“マリ”・倒錯の青春』、『女性セブン』1969年4月23日号より。
今では、上野といえば、何はなくともパンダである。異論はない。しかし、パンダが日本にやってくる1972年以前は、上野といえば、オカマだったのである。上野のパンダと同じぐらいに、「ノガミのオカマ」は有名であった。「ノガミ」は、上野をひっくり返して「野上」。それを「ノガミ」と読んだのである。六本木をギロッポンというようなものだ(笑)。当時は、「たらちねの母」「ぬばたまの闇」といった表現と同じように、「ノガミ(上野)」はオカマの枕詞であったのだ。
その謂われは、戦後、復員してきた兵士達が、帰る家を失い、上野の森に住みついたことから始まる。当時の上野には、街娼が集まってきていた。パンパンのおねえさん達である。そこに、仕事もない復員兵達が、見よう見まねで、女の格好をして客を引くようになった。手っ取り早く現金収入を得られる手段であったからだろう。はたして、彼らが生粋の同性愛者であったかは、定かではない。戦地で男をおぼえて帰ってきた、所謂、機会性同性愛の者が、喰うためにオカマになっていた例もあるだろう。その内に、生粋の同性愛者達がオカマになることを目的に集まっても来た。
そうしたオカマ達が、下谷や谷中に共同生活を始めるようになり、その内に「オカマ養成学校」的な組織も生まれて来たのが、面白い。さらに、女装をせずに体を売るものも現れてきて、ずいぶんと賑わっていた。「ノガミのオカマ」は有名になり、度々の取り締まりにもあっていたようである。
というわけで、この記事のタイトルには、同性愛やホモといった表現は使われていないが、「上野」「倒錯」というキーワードによって、それが同性愛絡みであることが、すぐに分かるのである。
記事は、上野公園でホットドックを売る、とある人物を取り上げる。それが、彼。
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西方博、通称マリ。「死んだママンに似ているこの顔 ── “激しい女”、母はマリの人生を決めた。」とキャプションが付けられている。『女性セブン』1969年4月23日号より。
団次郎や、谷隼人といった、バタ臭い顔の二枚目である。記事によれば……
上野公園も黄昏どき ── 。今夜もまた、精養軒の近くに1台の移動屋台が灯りをともした。
『HOT・DOG』と書いた看板の小さなワゴン車 ── 。西方博(にしかたひろし)さん(33歳) ── 通称“マリ”でとおっている男のささやかな“職場”である。
(略)
 マリの母はフランス人 ── その母にそっくりというマリは、それこそ肌がぬけるように白く、ブロンドの髪、トビ色の瞳と、みるからに、日本人ばなれしたハンサム・ボーイだった。
(略)
 いま、4冊目を迎えた“詩集” ── それは、マリがこの33年間の半生に、泥沼へのめりこむようにはまっていったホモの世界、前科10犯までかさねた灰色の青春の日々が、一節一節に刻み込まれたものだった。そしてまた、この詩集こそ、実は猛烈に生きて死んだママン(お母さん)への愛憎と、その“鎮魂歌”であった。
マリの父は、裕福な家に生まれ、外国遊学中にマリの母と出会った。彼はすでに結婚していた。マリが生まれてからも、彼は遊び回り、その反動からか、母はマリを溺愛し、また、酒を飲み、多くの男と情事に溺れた。幼いマリは、「ぼくはぼくで、母が情夫に愛されているのを見ると、からだ中がゾクゾクとふるえるみたいに嬉しかった」と語る。
マリの胸中にすさまじい女としての母が深く焼きついた。それはやがて、女性への極度のコンプレックス(劣等感)となり、倒錯した性へのあこがれとなって、不幸な実を結ぶ要因となっていったのだが…。
記事では、そう分析している。母が死に、父親に連れられて帰国したマリは、義母や異母兄弟達と暮らすことを拒み、家を出る。彼が家出したのは、10歳のときであった。ドサまわりの芝居一座に加わったり、少年窃盗団に身を寄せた。
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「ひまができると、マリは、ラフマニノフの狂詩曲を聞きに……。」とキャプションがつけられた、マリの写真。『女性セブン』1969年4月23日号より。
 2年ぶりで東京に舞い戻ったマリは、12歳になっていた。
 このとき ── 。マリに運命を左右する出来事が襲った。食物を捜して、築地をさまよったときのことである。中年の男がマリに近寄ってきた。
「坊や、おじさんと遊ぼう」
 マリは逃げる隙もなく、その男にはがいじめにされた。
「いや、いや……」
 もがくマリの目に、キラリと光るものがうつった。ナイフだった。マリは恐怖のあまり、力いっぱい男の手をふりほどこうとした。
「うっ……」
 腹のあたりからほとばしる鮮血。それをみたマリは、男の呻き声を、遠くにききながら気を失った……。
 こうして多摩少年院(東京)に送られたマリ。このときの事件は、やがてつづられるかずかずの犯罪記録の、悲しい門出となった。
マリは、その後、窃盗をくり返した。何度も刑務所に入った。
 はじめのころ、マリが刑務所でおぼえたのは、盗みのさまざまな手口と、それに甘美なホモの味だったという。
 マリは、異性を意識する年ごろになっても、女性に関心が抱けなかった。おそらく、幼い日にみた母が、あまりに“強烈な女”だったせいだろうが……。その反動で同性に憧れたようだ……と告白するマリ。そんなマリが刑務所の門をくぐって、男だけの世界へ飛び込んだのだ。
 長い間抑圧された性の衝動が、そこで満たされた。マリがホモにしか性の快楽を味わえない人間になるのに、そう時間はかからなかった。
 出所したマリは、街で同好者をあさった。
 ときとして、そんな自分がイヤになるときもあった。ホモの陶酔が終わったとたん、凶暴な野獣と化したマリ。相手を殴り倒し、巻き上げた金で、酒と睡眠薬を買ってしたたか酔いしれるのだった。
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Kさん夫妻とマリ。「倒錯と犯罪の青春から、彼を救ってくれた、Kさん夫妻らと。(マリの部屋で)」とキャプションが付けられている。『女性セブン』1969年4月23日号より。
窃盗をくり返し、10度目の服役を終えて出所してきたマリに、救いの手を差しのべる人物が現れた。上野でバナナの叩き売りをしていたKさん夫妻が、家のない彼を同居させ、ホットドッグ売りの仕事を世話したのである。彼は、これを機に、荒んだ生活から立ち直ろうとする。彼は真面目に働き、まわりからの評判も高まったのであった。
混血、数奇な生いたち、前科10犯、ホモ……と、女性週刊誌のゴシップ記事には打って付けの素材が揃っている。雑誌が飛びつくのも無理はない。しかし、何故、マリが自らの恥を晒すような取材をOKしたのであろう? まさかタレントにでも転向したかったのか(笑)。いや、ここは、お世話になったKさんの恩に報いるために、ホットドッグ売りの宣伝のため雑誌に出て、自ら、客寄せパンダになろうとしたのではないか。鶴の恩返しならぬ、マリの恩返し。ホモの恩返しの美談として読んでおきたい。
最後にマリが書いたという詩を紹介しよう。お世辞にも良い出来とは言えないが(笑)。
他人がぼくをホモと嘲笑しても ぼくは平気です
だって そのときぼくは
ぼくは実の泥棒なのだと
自分にいいきかせるから
で 泥棒といわれたときは
実は ぼくはホモなのだ
と自分にいいきかせます
抜け道はいつも用意してあるって寸法です
でも 困るときだって
あります
西方 博! と他人から
呼ばれたとき…
ぼくのこころは ホモでも
泥棒でもないので
おろおろと
してしまうのです
(西方博『演技』と題された詩より)
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『女性セブン』1969年4月23日号(小学館/1969年 発行/定価80円)

 

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