能町みね子の喜怒哀楽【喜】

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誤解を承知で言うが……と、文の冒頭をこう書きかけて、「誤解を承知で言うが」という言い方がすごく言い訳じみている気がしたので、「誤解を承知」しないことにします。誤解させないように慎重に言います。私は、誰々がゲイらしい、という話を聞いたとき、うれしくなってしまう。喜んでしまう。

今年のLGBT関係のスキャンダルと言えばトップに来るのは武藤貴也議員。彼は本来カネがらみのスキャンダルだったはずなのに、議員宿舎に男を連れ込んだだの、「(これからは僕の)奴隷だよ」なんてLINEを男に送っていただの、ということがすっぱ抜かれて、私はカネの問題なんかすっ飛ばして「マジで?」と喜んでしまいました。(この報道が「アウティング」として非難されるべきか否かという問題に言及すると話がややこしくなりますが、一応私の立場を言っておくと、ギリギリ違法ではないとはいえ議員の未成年買春なので、「報道すべきではないもの」ではなかったと思ってます)

けしからん報道が連続していたというのに、なんでだろうか、彼がゲイだと分かると、私の中のどこかに「喜」「嬉」の感情が生まれる。もちろんそれをもって彼の行状が許せるということはないけれど。さて、これは一種の偏見か何かなのだろうか、と必死で考えてみた。いわゆる腐女子的な目線で、他人の男性同性愛(およびその行為)を喜んでいるのかというと、私はそうではない。「実は以前は男/女でした」でも「実はレズビアンでした」でも私は「マジで?(嬉)」って思ってしまう。

私自身がLGBTだから、仲間意識なのでは?と思われるかもしれない。でも、はっきり言って私は武藤議員がゲイだからといって「仲間」だとは全然思わない。だって、あんな人絶対友達になりたくない。逆に「同じLGBTとして恥ずかしい」という気持ちにもならない。LGBTである、という一点だけで仲間だと思えるほど人は単純じゃない。

じゃあ何なのか……。

正確な言葉に表せないけれど、そのポイントをどうも私は「かわいげ」のようなものとしてとらえてしまっているようです。ある人がゲイ/レズビアン/等だと分かると、私はその人の心のむきだしの部分を摑めたような気がして、急にかわいく、近しく思えるのです。ギャップとも言えるし、チャームポイントとも言える。

これはおそらく私のLGBTのとらえ方に由来していて、私はやはりLGBT等の属性については一つの特徴としてしか捉えていないし、その特徴についてはおそらく総体的にゆるやかな好感を持っているのだ。猫好きだとか、鉄道オタクだとか、そういった要素があったとしてもきっと私は「マジで?(嬉)」と思ってしまう。それとたぶん変わらない。

いやでも、まず前提として、武藤議員はまずまったくもってけしからん男で、カネについても恋愛関係についても倫理観がゆるゆるだし、スキャンダルのさなかに新宿で新しい男と会っているところをさらにスクープされるだなんて脇が甘すぎて、ロクな政治家じゃないことは間違いないんだけどね。

 2015/11/20 11:00    Comment  連載   能町みね子の喜怒哀楽              
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